輝く断片のあつめかた

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人は何故、神を想うのか?

人は何故、神を想うのか?

生あるものは成長する。
この中で人はその成長の度合が大きい。
ここで成長の定義をするとそれはフィジカル面とメンタル面の両面を含む。
内外の障害がないかぎり肉体的成長は自然に達成できる筈である。

では精神的な成長とは何か?
普通に考えれば大人になる事である。

大人になるとは幼稚な存在から思慮深い存在に変わることを意味する。
時にそれは詰らないものに思える。だから大人になりたくない子供が多いのかもしれない。
何事も本能的な部分での判断だけで済めば大人になる必要もない。
これを集団のレベルに推し進めると社会ではなくなる。
個人ではどんな価値を持とうが自由であるが社会では共通な価値観が必要になりそこへの参加には精神的成長が必要となる。

では精神的成長の最終目標はなにか?
答えはない。成長に終わりはないから当然と言えば当然。
死に向かう中(生まれる事は死にいくという現実から誰も逃れられない。生きる事は死ぬことであるという逆説がなりたつ)
でもすべての生は成長し続ける。

話は逸れるが ”絶望とは死に至る病”であるといったのはキルケゴールだと思う。
未熟な精神は絶望に押しつぶされる。
これはどんなに大人になっても訪れるし乗り越えられない場合がる。却って幼稚な精神の方が乗りきれたりする。

ここで人は神を創造した。
宗教は麻薬だといったのは毛沢東だったか。
神を信じる人は絶望しない。イコール精神的に強い。

再び話は変わるが”神の非存在証明”というのがある。
(同様に神の存在証明もある)

これは 

神は論理的矛盾のあるものは創造しない。これが前提1
神は創造しえない物はない全能である。 これが前提2

そこで例えば次の様な命題を考える。

神は自分が持ち上げる事のできない石を作ることができるか?
作れる場合、神に持ち上げる事ができないのだから全能ではなく、したがって神ではない。
作れない場合、・・・不可能な時点で全能ではなくなってしまう。

したがって神は存在しない。

これは面白い話ですが、話題を戻します。

人間の精神的支柱として神が存在します。
それは人間が未発達であり、決して完成した存在ではないからです。
個としての成長も当然ですが種としての成長も不完全です。

完全の定義のひとつが神です。

(神は自分に似せて人間を作った)

逆に言えば不完全だから人間であるともいえます。
成長し理想(完全)を求めるのが人間と再定義します。

文明を発達させ科学を生み、世界を豊かにしてきた人間。
しかしその豊かさは自然をはじめとした遺産を破壊して成り立っています。
この矛盾とどう付き合っていくか。

人間とはなにかを考えることは神とはなにかを考える事でもある様です。



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